2024.11.29 イベント実施報告

第8回「科学と社会」意見交換・交流会を工学者の伊藤弘昌さん(元東北大学電気通信研究所長、元東北大学未来科学技術共同研究センター長)をゲストに迎えて開催しました

概要 Summary

 心豊かな社会をつくる会(代表:大草芳江)では、知的好奇心がもたらす心豊かな社会の創造にむけて、「科学と社会」をテーマに、毎回、各界から多彩なゲストを迎え、宮城の日本酒を交えながら、ざっくばらんに政策立案に資する議論を行うニュータイプの意見交換会を定期開催しています。

 「科学と社会」についての捉え方は、立場によって異なります。議題は、ゲストが「科学と社会」をどのように捉えているかからスタートし、その切り口から、参加者同士で議論を行います。議論の様子は、市民参加型の政策立案プロセス検証の一環として公開することにより、広く社会と共有します。

 第8回目は、東北大学電気通信研究所所長や文科省・JSTなどの要職を歴任した、工学者の伊藤弘昌さん(東北大学名誉教授、みやぎ産業科学振興基金理事長)をゲストに迎えて、11月29日に開催しました。光量子エレクトロニクスの学術研究のみならず、産学連携や大学と地域の交流、東北大学の運営にも長年尽力し、今年度から本格稼働している「東北大学サイエンスパーク構想」にも検討初期段階から深く関わってきた伊藤さんが今、「大学と地域」をテーマにリアルに感じていることをお話いただきました。

 今回も大学の研究者や職員、企業経営者やライター、元教員・行政職員など、会場いっぱいとなる多様な立場の方からご参加いただき、活発な議論を行うことができました。ゲストスピーカーをお引き受けいただいた伊藤さん、ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。議論の様子は、市民参加型の政策立案プロセス検証の一環として無記名で議事録を作成し、以下に概要を公開します。

開催概要

【名称】第8回「科学と社会」意見交換・交流会
【主催】心豊かな社会をつくる会(代表 大草よしえ)
【日時】2024年11月29日(金)19:00〜21:00
【場所】綴カフェ(仙台市青葉区北目町4-7 HSGビル1階https://tsuzuri.jp/
【費用】2,000円(綴カフェのオードブルと宮城の日本酒の実費です)
【ゲスト】伊藤弘昌さん(東北大学名誉教授、理化学研究所 光量子工学研究センター テラヘルツ光源研究チーム 客員主管研究員、一般財団法人みやぎ産業科学振興基金 理事長)

[略歴] (いとう・ひろまさ)1943年東京都生まれ。1972年東北大学大学院工学研究科博士課程修了。工学博士・東北大学名誉教授。1993年東北大学電気通信研究所教授、2002年東北大学未来科学技術共同研究センタ−長、2004年東北大学電気通信研究所所長等を経て、現在、理化学研究所光量子工学研究センター テラヘルツ光源研究チーム客員主管研究員、一般財団法人みやぎ産業科学振興基金理事長。研究分野はレ−ザ−、非線形光学、テラヘルツ波科学、他。

議事録

ゲストの伊藤弘昌さん(東北大学名誉教授、みやぎ産業科学振興基金理事長)による
講演要旨「大学と地域」

1970年代のシリコンバレーへ

 東北大学の博士学生だった1971年、日本で最初のレーザー装置デモのために来日した若きバイヤー助教授と知り合い、1975年から1年間、スタンフォード大学のバイヤー研究室に滞在した。ちょうどその頃、バイヤーが自らの研究成果の技術移転を実践しQuanta Ray社を立ち上げた直後で、いわゆるガレージベンチャーオペレーションを目の当たりにした。1970年代のシリコンバレーは、半導体技術の発展やPC革命の始まりとともに、スタートアップ文化やベンチャーキャピタルが台頭し始めた時代。いずれ日本でも、規模は違えど同様の動きは出てくると思いながら帰国の途についた。

シリコンバレー技術移転講演会の仙台開催

 その後も機会がある度に海外のキャパスを見学し、大学の技術移転の土壌を仙台・東北でも耕したいとの想いを強くしていた。そして1994年、先端研究を企業化に結びつけた業績で世界的に有名になったバイヤー教授を講師に招き、東北インテリジェントコスモス構想推進委員会(石田名香雄理事長)の主催で、技術移転講演会を仙台で開催することになった。そのようすは地元新聞紙にも取り上げられ、平井昭光弁護士によると、日本で「技術移転」という言葉が公の記録に残る最初の記事らしい。
 講演では、技術移転と言っても、スタンフォード大学の技術を使っているベンチャー企業は20社中わずか1社だけで、その他の20社ではスタンフォード大学で教育された人間を使っていること、大学にとって一番重要なことは技術移転ではなく人材供給であることが語られた。一番大事なことは卒業していく学生が技術を持っていくということだ。それでは、よい学生以外に会社の成功に貢献しているファクターとは何か。第一に起業家精神、第二に人材と土地の確保、第三にベンチャーキャピタルの存在、第四にテクニカルコミュニティーのモビリティ、第五に会社設立やパテントの法的なサポートがあること。
 スタンフォードスタイルは、起業家精神あふれる教授陣による、学部等の垣根を超えた開放的な交流で、当時の東北大学教授のスタイルとは全く異なるものだった。スタンフォード大学とシリコンバレーをはじめとする周辺地域の企業との連携は世界的に有名で、まさに「Town and Gown」の好例といえる。

TOWN & GOWN

 「Town and Gown」とは、今でも卒業式などで教員も学生もガウンを身に付ける習慣があるように、ガウンは大学を表しており、地域と大学、あるいは市民と大学の関係を表す言葉で欧米ではよく使われている。TownとGownで価値観を共有し、双方に利益をもたらす運営を双方で務めることで、まちも大学も双方が発展していくと考える。日本では、広島大学と東広島市で2021年から「Town and Gown」という名前自体が登場しているが、京都大学と京都市にある企業との関係が長い歴史を持っており羨ましい。

青葉山新キャンパス計画と電気通信研究所

 東北大学では、西澤潤一総長が総長就任当初から青葉山新キャンパス構想を表明。1995年1月の入試中に総長の巡回があり、伊藤から「移転対象部局の新予算請求ができない状況は大変厳しいので早期移転の実現を」と要望したところ、その翌日、総長室に呼ばれ、「移転するのは君たちだ。移転案を持ってくるように」との指示があった。移転対象部局として電気通信研究所は既に外部建築プランナーを入れて検討を進めていたため、これを全学に広げて行い、4月には移転案を提出。新キャンパスのみならず、仙台市との関係、特に交通機関についても検討を行った。このことからその後、青葉山新キャンパスの基本計画作りに長年参画した。

海外の技術移転調査へ

 1995年秋、海外の技術移転状況の調査を文科省が行うことになり、ドイツ、スウェーデン、アメリカの技術移転を調査する6週間の旅に一人で計画して出かけた。なぜシリコンバレーは復活し、ボストン・ルート128は沈んだかを書いた「Regional Advantage(現代の二都物語)」を携えての旅だった。ルート128は少数の企業が様々な生産プロセスを内製化しているのに対し、シリコンバレーでは多くの企業が地域の非公式なオープンネットワークでつながっていることが書かれ、シリコンバレーが栄えた理由に、「良い大学の存在」「住み続けたいと思う良い気候、環境」「ワシントンからの距離」の3点が挙げられていた。これら3条件は日本では仙台が最もよく当てはまるのではないか、仙台でいずれ実現できるだろうと、当時から思っていた。

東北大学新キャンパス構想に「サイエンスパーク」

 その後、1998年から5年間にわたり大村虔一教授(当時、東北大学建築学科)らとともに、青葉山新キャンパス実現の日に備えて、世界トップのキャンパスを持つ大学のためのグランドデザインから地域との関係などを語り合う会を毎月開催し、社会デザインも含めた検討を進めた。
 新キャンパス構想で重要と考えたのが「サイエンスパーク」であった。もともとは「リサーチパーク」で考えていた。幸いにもキャンパス移転準備室の2006年作成の公なパンフレットに青葉山新キャンパスに「サイエンスパークを含む」と載るようになった。現在の東北大学のサイエンスパークは、サイエンスパークとは言っても、まだ大学の施設なので、ぜひリサーチパークになってほしい。リサーチパークには、インダストリー、民間の動きがもっと大きく入らなければいけない。

東北大学のTown and Gownの現状

Town and Gownは、巨大都市の大学ではありえず、中規模のまちと大学の関係が非常につくりやすい。大学はまちに対してどれくらいの寄与があるか。宮城県で売上が一番大きい企業は東北電力だが、社員数は約5,000人、関連企業を入れても約3万人。一方で東北大学は職員数で約7000人、学生を含めると約2.7万人。大学自体による経済効果は、ChatGPTによると約730億円との算出である。経済効果の他にも、学術交流や学生活動を通じた市民・地域社会との交流など多数ある。  しかしながら長い間、仙台・宮城地域にとって、東北大学の存在は空気のように当たり前の存在だ。無くなったら一大事だが、そんなことは考えることもなく、行政も市民も関心が薄かったと思う。大学は大学で研究の成果の多くは学術・技術の開発であり、その出口は国や中央の産業界、そして世界が相手。地元との協働にはギャップが広すぎて、卒業生の定着率も極端に低いままだ。
 シリコンバレーも、活発化するまでの状況は同じだった。1940年までのアメリカ西海岸では、大学の卒業生は東部に就職のため皆いなくなった。そこである時バークレー大学とスタンフォード大学の学長が、地元に学生を留める方策はないか一生懸命、相談したらしい。それがスタンフォードインダストリアルパーク設立のきっかけになったとのことで、私がスタンフォードに滞在した30年余前のこと。
 しかし最近になって東北大学・仙台地区の様子が変わってきたと感じる。国際卓越研究大学のような、新たな国のプロジェクトの採択に、1機関しか採択されず、それが東北大学というようなことはなかった。構想とそのための準備がダントツであったためではないかと感じる。その中で地域との関係性を提案書にきちんと書けたことも大きい。現在スタートアップ文化も少しづつではあるが根づきつつあり、サポート機関の動きも活発になっている。この動きは逆に地域にとっても大きなチャンスだ。

地域と東北大学とのTown and Gownの可視化への期待

 そこで私からのお願いは、地域と東北大学の「Town and Gown」の関係性もう少し可視化して、まちと大学とで価値を共有するステートメントをつくり、両者で使ってもらいたい。これまでも、例えば、「仙台市×東北大学スマートフロンティア協議会」等、個別事業での大学と市の協働は多数あり、昔から様々な委員会の委員は大学教員が協力しているが、個々個別の協働に留まっている。
 そこで価値観・行動指針(Value statements)を明確化して価値観を共有化してほしい。一例としてMITでは「Value statements」をキーワードにその概念をつくっているようだ。この指針は大学が作成するものなので、キャンパス計画に携わっている方たちに原案をつくってもらいたい。Town and Gownの状況を可視化し、大学にも市民にも行政にもわかるようになることで、双方にとって利益のもたらせられる運営をしてほしい。そんなことを期待しながら、私の話を終わる。



議論の様子(一部抜粋)

Q. 当時、石田名香雄・元東北大学総長が霞が関をまわると、官僚からは「東北大の総長が山の上から降りて一生懸命やっている」と驚かれたという。東北大学は、空気のような存在から最近は変化が見られてきた。これが本当の「技術移転」となり、卒業生が仙台の企業に就職して住み続けるためには、技術移転をはじめ、何が足りないと考えるか?大学と企業のマッチングの問題がまだわからないでいる。

A. 学生が就職する時に相手(企業)がいなければいけない。本来なら、ドクター(博士号)まで取った学生が、地元でアカデミックだけでなく産業でも仕事ができる社会にしないと、絶対に日本は対抗できない。日本では大手の製造業ですら、ドクターをなかなか採らない。その問題をどうするか。
 スタンフォード大学の卒業生で大手企業に就職する人は少ない。スタンフォード大学にはIndustrial Affiliate Programという名前の産学連携組織が分野ごとにできていて、企業がメンバー料金を支払って最新の情報や技術が取得できる。学生は、ドクター論文ができる頃にそこでポスター発表を行う。そこは新技術の紹介であり、企業はその技術を買う時に学生ごと引き抜くことが多い。日本の場合、特許だけが動く考えが抜けていないが、スタンフォード大学周辺の技術の動きを見ていると、企業が新しい技術を引っ張るにはPh.D.の仕事を学生ごと引き受けている。日本でも、これが始まると多分変わるのではないか。
 また、スタンフォード大学の卒業生はアメリカ人がかなり少ない。技術系では3割程度で、かなり昔から半分を切っている。教育には税金がかかっている。日本の税金で教育した人が日本人だけと考えるのはもう止めて、教育した人全員がずっと日本にいることまでは求めないが、日本で活躍してくれる時間を必ず持ってもらいたいと思う。仙台で留学生支援を行う財団を長年手伝っているが、最近の大きな変化として、留学生の8割近くが卒業後に日本で職を探すようになった。かつては、ほとんどなかった動きだ。そこで如何に仙台に残すかが一番の問題で、東京エレクトロンや東北リコーなど研究開発部門がある企業には、東北大学の卒業生もそれなりに就職しているはずだが、トヨタ自動車は宮城県で開発していないので研究者としての就職はそれほど多くないと想像する。研究開発部門がある会社ができてくれば変わるだろう。もうひとつは自分で会社を起こすこと。

Q. スタンフォードやバークレーも昔は仙台と同じような状況だったという話について、どうやって変えたのか。アントレプレナーシップ教育にもかなり力を入れたのだと思う。昔から東北大学は割とおとなしいと言われているが、どのような教育をすれば、起業家精神は育まれるのか。

A. 現場から離れて何十年も経つので何とも言えないが、今やっと仙台でもアントレプレナーシップやスタートアップを支援する組織が随分動き始めているので、これからひょっとしたら変わっていくのではないかと期待している。

Q. 東北大とスタンフォード大の学生数はほぼ同じ。今の東北大に足りないことは?

A. 吉本高志先生が総長の時、「シリコンバレーを案内してほしい」と依頼され、案内役を務めて訪問した。ちょうど国立大学の法人化を前で、東北大学として初めてミッション・ステートメント作成が全部局に求められているときであった。そこで、スタンフォード大学の職員から学長までの幅広い人に「この大学のミッションは何ですか?」と質問したが、皆少し考えてから「education」と答えが返ってきたのには私も驚いた。それくらい大学では教育が絶対に重要なことを再認識した。東北大のミッションは?と聞いたら「わからない」という人も多いのでは。少なくとも、教員だけでなく職員も答えられることが重要。
 東北大とスタンフォード大で、何が違うか。オリジナルな先端研究の遂行には、修士ではなく博士課程の教育環境が重要。残念ながら、日本の大学では博士課程学生の比率が絶対的に違う。アジアの中でも、日本人ドクターの進学率は相当少ないのではないか。留学生数で埋めて文科省に報告しているのが実情だが、ドクターの学生がもっと来るような大学になるためには、産業構造まで考える必要がある。技術系ドクターを取得してから会社に入った人で社長・副社長になっている人は数えるほどだが、その人たちと話してもなかなか答えは出なかった。日本の企業は、オリジナルなものをつくる会社に、残念ながら本当はなっていないためではないか。

Q. 研究成果が出た時、その成果が大学の知財になるかを問い合わせると、大学からは「学生の成果ではなく教員の成果なので、発明者に学生を入れるな」と、学生の成果にならないバイアスをかけられる。学生のやる気やアントレプレナーシップとは逆行する方向へ働いている気がするが、その辺りを円滑化するよい方法はありえるか?

A. 日本では昔からの制度が残っておかしな点がたくさんある。昔、私の研究室に研究テーマを自分で見つけてドクターを取った元気な学生がいた。学位取得後に「専門1つだけでは、世界には必ず進んでいる人がいるから、本当の専門を2つ持って掛け合わせた仕事をすれば、簡単には負けない」と助言し、「助手として大学に残るならこの仕事をしたら」と、やってもらった。この二番目の仕事でスタンフォード大に送り込んだところ、元気に帰ってきて数カ月後に「東北大をやめたい」と言われた。スタンフォード大でやっていた仲間がベンチャーをつくることになり、その男はキーパーソンとしてアメリカへ渡ったためだ。この時代(1997年頃)には、海外でスタートアップを経験した人が国内の大学にはほとんどいない状況であり、東北大学でぜひ採用したいと思い、そのために何とか彼の席を残せないかと大学や文部省に問い合わせた。しかし当時は、「技術移転のための特別待遇は教授でなければ駄目だ」と言われ、結局彼は離職した。今ならば各大学の裁量でできると思うが、そういうことがすごくやりにくい昔からの制度が残っていた。

Q. 大学と社会の距離感が気になっている。Town and Gownの日本での好例として京都を挙げたのは、どのような点からそう思うのか。

A. 私は東京出身だが、学生として仙台に来た1960~70年代は、学生数も多くなく、大学といえば東北大で、存在感は今より遥かに大きかった。一方、同期の友人が阪大に就職した直後にまちで大学の場所を聞いたら、「大学なんかしらん」といわれて、商売の街で大学に対するリスペクトがなくがっかりしたと言っていた。
 京都が羨ましいと私が言ったのは、あのまちにはお寺や神社だけでなく、新技術を追求する会社が昔からあり、新たに次々とできている。これも大学と産業界が協働してアントレプレナーシップ教育を行ってきた歴史があるから。そういう関係がまちとしてはっきりしているのは、日本ではこれまで京都しかなかった。

Q. 京都の場合、都として東京より先にあったし、東京とは関係なく自分たちは成立しているというプライドがある点が大きいのではないか。どの国も、第二都市は反骨心がある。アメリカは州として独立していて裁量がある。日本の場合、東京一極集中が強過ぎて、地域性を育てることの難しさもある。精神は歴史に根ざすものと考えると、そもそも精神性は育てられるものだろうか。日本には、自分たちがやることに自分たちで責任を持つ文化があまりなく、上にお伺いをたてるスタイルがどうしてもある。自分たちの大切なものを削ってでも通せるかが気になる。もう少し大きな州単位でやって、自分たちで責任を持つことで、精神性を育てることが要だろうか。日本は地域性を生み出しにくいが、ヨーロッパはひとつのヒントになり得るか。普段は大学と地域との関係についてあまり議論する機会がないので、ぜひ聞きたいと思った。

A. 私が世界の技術移転の状況を見た時、ヨーロッパを見て「日本はアメリカを真似しては駄目だ」と思った。当時のヨーロッパはシリコンバレーを一生懸命勉強して、なんとか次のステップに行こうと、州やまちが大学とともに全力で技術移転に力を入れていた。ものづくりで世界に君臨するドイツは、日本と面積も人口もほぼ同規模だが、最も異なる点は地方組織のあり方。ドイツは連邦国家で13州3都市だが、日本は47都道府県と数が多過ぎる。日本の悪いところは、皆公平にしないと文句が来るので、小さな県から活力ある県まで皆同じ補助金。それに対してドイツは州制。日本も道州制のような形で、もう少し大きな単位にして裁量を任せなければ、地域の活性化も個性化も実現しないのでは。

Q. 「Town and Gown」の可視化による、双方にとってのメリットとはそもそも何か。

A. 専門家ではないが、少なくともTown and Gownを調べると、大学側が先にどうするという姿勢が重要。大学が存在することによる地域への寄与はこんなにあると大学側が訴え続けない限り、まちの人も行政機関も理解しない。大学側も市と一緒に進めないと駄目だから、それをやりませんか?という提案だ。仙台市と東北大のスーパーシティ構想も多分、国か何かの予算がついているんでしょう?予算のたびに出すのは当たり前で、やればいい。それではなく、もっと全体的なコンセプトで大学と地域との関係を包み込むことが必要。これまで多くの施設工事などが補正予算で行われてきたが、きちんとした計画を練る時間が少なく、いつまでに何を建てるかが優先され、動いてしまう。青葉山新キャンパス構想は10年間も設計期間があったことが非常に稀有で、それをリードしたのが世界的プランナーの大村虔一先生だった。

Q.  Town and Gownで価値観を共有する際、バックグラウンドが異なる人同士が同じ方向をむくことは難しい。そのために必要な観点は?

A. MITがつくっていたバリュー・ステイトメントは、要するに、ほんわか書いてあって、何をやるか、あまり具体的なことは書いていない。その中にいろいろなことが包み込めるような方向性を示すことが良いのでは。具体的に何をどうやるかには、最近注目されている“デザイン思考(シンキング)”の手法を使うこともひとつである。


宮城の日本酒

 ざっくばらんな意見交換を促進することを目的として、季節の限定酒をご用意しました。なお、以下は用意した日本酒の銘柄、造り、使用米、精米歩合、製造年度を示しています。

1.山和 純米大吟醸 山田錦40% 5BY
  加美町の蔵 目隠し酒コンテスト 酒コンデションで
  純米大吟醸部門第一位に輝いた純米大吟醸

2.田林 純米大吟醸 精米28% 美山錦28% 5BY
  加美町の蔵 年末出荷の限定醸造純米大吟醸

3.墨廼江 大吟醸 鑑評会出品酒 山田錦40% 5BY
  石巻の蔵 年末数量限定商品 鑑評会に出す大吟醸

4.黄金澤 純米大吟醸 斧菊琴 愛山50% 5BY
  美里町の蔵 毎年中味を替えてチャレンジする黄金澤の限定酒 「よきこときく」

5.伯楽星 純米吟醸 雄町 雄町50% 5BY
  三本木本社 蔵は川崎 年に一度この時期に限定出荷の雄町で造った純米吟醸

6.宮寒梅 純米大吟醸 無濾過中取り生 美山錦45% 6BY
  大崎市の蔵 新酒生になります しぼる過程の真ん中部分 中取りを詰めました

7.萩の鶴 純米吟醸 亀岡10号中取り 美山錦48% 5BY
  栗原市の蔵 精米48%の美山錦で造るスペックは純米大吟醸並みの純米吟醸
   しぼる過程の真ん中部分 中取りを詰めました 宮寒梅とは酵母が違います